『ペーパーカット Vol.1』こそこそ裏方レビュー

初めまして、おはようございます、こんにちは、こんばんは、スクリプト・マヌーヴァの谷口です。

アンケートを行うたび「ペーパーカットに字幕をつけてほしい」というお客様の声が多く届いておりました。
日本語字幕版(『ペーパーカット Vol.1』)を出せたことは本当に嬉しいです。

翻訳していると「そういえばあの人はこう言っていたなあ」、「あの人の考え方に似てる!」と思うことが多々あるのですが、今回はペーパーカットに字幕をつけていてそのように過去作と繋がった部分について書いてみました。

その1.ミスディレクションは存在しない

このコラムを書くことになり真っ先に思いついたのはトミー・ワンダーによる『ミスディレクションは存在しない』です。
アルマンド・ルセロは(少なくとも『ペーパーカット Vol.1』では)ミスディレクションという単語を使いません!

観客の視線や注目を集める動機が観客に伝えたいストーリーに必要な台詞や動作に組み込まれているため、二人にとっては「ミスディレクション」、つまり「誤認させること」や「注意をそらさせること」ではないのだと思います。
「シークレット・ムーブをカバーするために観客の視線や注目を集めている」のではなく、ストーリー(現象の筋)を理解するのに必要なものを認識させているだけということですね。

もちろんそこに至るまでの哲学や言葉遣い、実践方法、アプローチは違うので気になる方は是非両方とも手に入れて見比べてみてください。

その2.マスタークラス・ライブ:ルーク・ジャーメイ

次は『マスタークラス・ライブ:ルーク・ジャーメイ』です。
マジックをアーティスティックなものに仕上げる、という点でルーク・ジャーメイとアルマンド・ルセロには近いものを感じました。

「演技の価値を正しく理解できる人間に観てもらいたい」という気持ちが二人に共通しているように思います。
(決して否定したり見下したりしているわけではなく「自分の目指すマジックではない」という理由で)お誕生日会マジシャンはしないと言っているのも似ていますね。

アルマンド・ルセロの「自分の演技がいかに考え抜かれたものか理解してくれる人たちがいるから、私はマジックを続けていられる。例えばジュリアード音楽院でクラシック・ピアノを学んだのに、安いバーで簡単なBGM代わりにピアノを弾く仕事しかもらえなかったら…。私は演技の価値を正しく理解してもらいたい。」という言葉は印象的でした。
とは言うものの実際の演技が「敷居が高い」「小難しい」「マジックを勉強してるから楽しめる」わけではないのも興味深いです。
エンターテインメント性を損なうことなく、高いレベルでアーティスティックな演技になっているので英語が得意というだけで4年前にマジックの世界に足を踏み入れた僕のような人間でも楽しめます。ルセロのマジック大好きです、はい。

まとめ

「エンターテインメント性を損なうことなく、高いレベルでアーティスティックな演技になっている」理由など、書きたいことがたくさんあるのですが…ネタバレにならないように、このコラムを書くのは難しいですね。
「ペーパーカット買ったよ!」という方は、是非レビューにてどのように感じたか教えてください。
次回作を作る意欲にもなりますが、それ以上に作品から何を受け取ったのか楽しんでもらえたのか純粋に知りたいです。
(実は2月末からレビューを書いていただくとクーポンがつくようになっています!)
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では、失礼いたします。